久しぶりのマニラ

11月3日から11月6日において(多分、6年ぶり)にマニラへ行きました。コロナ禍の3年余もありましたが、本当に久しぶりでした。フライトスケジュ-ルも往路、中部12:15マニラ15:45復路マニラ6:15中部11:00というコロナ前とは違い少々、変わっています。機材のレイアウトは321の3列、3列です。

   友人

本年度から国際線はターミナル1に変更になりました。E-TRAVELの登録も事前に済ませて搭乗(ほぼ満席)でした。このE-TRAVELは中部空港でチェックインの際の確認のみで、入国審査では一切確認はありませんでした。入国書類も不要、税関申告用紙は申告のある方のみ記入です。今回はターミナル3の前にあるSAVOY HOTELです。ターミナル3からは徒歩で行くことができますが、ターミナル1からは15分(4.5KM)程度です。夕食はマニラ湾のハーバ-ビュ-レストランです。予約できないのでWALK IN,これはフィリピン流ですね。。

     

定番のサンミゲルLIGHTとフィリピン料理。。このレストランの食事は日本人にはあいます。マニラ水族館は依然来た時は夜ライトアップしていましたが、今回は節電していました。とにかく、この国はどこに行くにも渋滞がひどいので時間がかかります。

 部屋から見たターミナル3                  翌日はマニラ市内観光です。今回たまたま、SMXにてコンベンションがありましたので、まずはそこを見学してSMモールにてショッピング&昼食です。

           SHAKE SHACKが入口にありました。東京にもあるようですので、ここで食事です。高級なハンバ-ガ-というところです。店内はクリスマスが違い雰囲気でそこそこのお客さんでした。。                 午後からは市内観光です。まずはリサ-ル公園に行きましたが、日本とつながりのあるリサ-ル将軍ということと丁度この日に岸田総理がこちらに来ていましたので、国旗の掲揚がされていました

    

イントラムロス. Intramuros. 1571年、スペイン人がフィリピン統治のために建てたマニラ最古の旧城壁都市。. イントラムロスはスペイン語で“壁の内側”という意味。. 城壁に囲まれた市内のロマネスク風建築は太平洋戦争末期にとんど破壊されてしまいましたが、12の教会のうち世界遺産にも登録されているサン·アグスチン教会、そしてサンチャゴ要塞です。その後、マラカニアン宮殿のその後を見たいと思い移動しました。現在、宮殿は壊していて新しい宮殿なるものを建設中でした。新しくマラカニアン宮殿博物館なるものが出来ていて(昨年あたりから?)そこを見学しました。          車の渋滞がひどいので、今日はこれで観光を終了して夕食へ、夕食はニュ-ポ-トシティ内にて       ここはホテルから700M程度でしたが、車で移動しました。レストランは10ケ所以上ありますので、困りません。カジノはレストラン街の下にあります。もちろん、24時間です。帰りながらマッサ-ジもあり、スタ-バックスのホテル横にありますので困りません。もちろん、コンビニも。    

翌日はタガイタイ観光&プラスマカティです。ホテルから高速で40分、そこから山に登ること50分でピープルズパークインザスカイに到着です。入口からさらに坂を上るので、ジプニにて展望台へ。少し、雲はありますが、とてもいい眺望です。                           ランチの移動前にフィリピン名物、フル-ツスタンドです。種類が豊富です。    ランチはビスタホテルタガイタイです。少し中は改装されていました。ここには6年ぶりです。ここから見るタール湖も奇麗です。噴火もあるので、湖畔への立入りにおいては観光客は現在NGであります。以前は船で火口島まで行き、子馬に乗って、お釜も見学できていました。      SARADジプニ-工場、日曜日で見学は入口のみですが、いわゆるジプニ-工場で修理、組立をしています。そこから近くにラスピニャス教会、正式にはSt. Joseph Parish Churchといい、世界で唯一と言われている竹製のオルガン「バンブーオルガン」が今も現役で活躍しています。名所ともなっているバンブーオルガン、1816年、スペイン人神父のディエゴ・セラにより製作が開始されました。自然素材をいかに長く使うのか熟慮されてきた結果、海岸の砂の中に8年間も竹を埋めて塩漬けにしたことで保存力が高まり、約200年経った今でも美しい音色を奏でることができています。 1973年、バンブーオルガンはドイツに送られ完全修復され、75年にフィリピンに戻され、100年ぶりに音色を奏でることになり、今に至ります。                                   そここからマカティに移動、アメリカ記念墓地へ                            摩天楼の中にある記念墓地です。緑がとてもきれいで、維持管理の大変さが伺えます。ここからマニラの中心地・ビジネス街である「BGC(ボニファシオグローバルシティー」へ移動しました。BGCは昔、フィリピン軍の駐屯地として利用されていました。その場所を再開発して、近未来都市として開発中です。BGCを大きく分けると「Bonifacio High Street」「Uptown Bonifacio」「McKinley Hill」に別れています。どの場所も、それぞれ異なった雰囲気があるのが特徴的。ここはフィリピンという空間ではないところかもしれません。                                昔、名古屋港にありましたイタリア村です。。渋滞がいやなので、今日はここで夕食です。家族連れやカップルでにぎわっていました。計算通り、夕食後の移動であったので、ホテルへの移動も渋滞がなく移動できました。本当に渋滞がひどいので、地下鉄をさらに整備して車の利用を減らす工夫がこの国には必要かと思います。翌日はAM3:00起床。。寝るとヤバイかも。。。        早朝のマニラ空港タ-ミナル1 AMA6:15マニラ発なので空港には4:15。今回はターミナル3に宿泊したので、朝は渋滞もないので10分で到着ですがさすがに眠いです。。          出発前のマニラ空港。。今回は6年ぶりということとコロナ開けということでの渡航でありました。確かに日本人はまだまだ少ないです。しかしながら、円安の関係もありますがフィリピン経済は上がってきていますので、今後の発展がまざましいかもしれません。次回はボホ-ル、セブ島研修として報告できるかと思います。                 2023年11月